愛すべきリバプールFC!5つの魅力を大紹介!
みなさま、『リバプール・フットボールクラブ』はご存知でしょうか。
くる虎です。
この記事では、イングランドのサッカークラブであるリバプールFCの魅力について書きます。
ちなみに私はというとリバプールのサポーター歴が10年を越えています。全く飽きのこない、それどころか日に日にのめり込んでいるように思います。その魅力を伝えられたらと思います。
もしこの記事を読んで、普段サッカーなんて観ないよという方が「リバプールちょっと良さげだな、ヨーロッパサッカー観てみようかな」と僅かでも思っていただけたら本望です。
では早速行きます!
情熱的サポーター!
まずは試合は観なくても大丈夫なので、サポーターたちを観てください。というお話。
イングランドにおけるスポーツ
リバプールの話しを始める前に、イギリス、イングランドの話しを少し。
言わずと知れた先進国イギリス。その南東に位置するイングランドはサッカー発祥の地とされています。そのイングランドの現在のスポーツ文化について簡単に触れたいと思います。
スポーツの選択
スポーツの始め方の多くは、小学生くらいの時期にその地域でさかんなスポーツを選ぶというのが多いと思います。例えば、日本では野球とサッカーが多いのではないでしょうか。イギリスで人気のある二大スポーツは、意外かもしれませんがラグビーとサッカーなのです。
そしてそれらは家の所得水準によって好みが分かれると言われています。中流以上の家庭ではラグビーを、下層階級の家庭ではサッカーを好む傾向にあります。サッカーはボール一つあればプレイできますので必然かもしれません。
また、イングランドではサッカーという言葉はなく、フットボールと称します。この記事内でも以下フットボールと記載することにします。
リバプールは、ご察しの通り下層階級の集まる都市です。
リバプールという街・人々
リバプールはイギリス北西部のマージー川沿いのマージーサイド州に位置する人口約50万人、日本で言えば八王子市くらいの小さな街です。
この小さな港町は、The Beatlesの出身地ということもあり有名なせいか栄えた街と思われがちです。ですが、リバプールは先進国イギリスにありながら低所得者の集まる都市、いわゆる生活水準の低い労働者階級の街というわけです。
市民全員がフットボールを愛しています。
ロンドンなど大きな都市のクラブには負けられないというプライドがあるのです。
そんなサポーター達が週末、試合を観に集う場所がリバプールFCのホームスタジアム"アンフィールド"に集まり、声を合わせある歌を歌うのです。
You'll Never Walk Alone
ホームスタジアムであるアンフィールドは、収容人数5万人を数えるフットボール発祥の地イングランドでも有数のスタジアムです。
このスタジアムの特徴は、そのゴール裏にあります。とにかく傾斜がすごいのです。
特に、ホームサポーター側のゴール裏は"KOPスタンド"と呼ばれ、そこに集うサポーターをKopitesと呼びます。※リバプールサポーターを総称してKOPと呼ぶのはこのKopitesから来ています。
KOPは試合前、それぞれの熱い想いを選手に伝えるべく、ある歌を歌います。その歌が「You'll never walk alone」です。
始まり
YNWAがうたわれるようになったルーツを紹介します。
もともとはロジャース&ハマースタイン作曲ミュージカル『回転木馬』の挿入歌ですなのですが、1963年にリバプール出身の歌手ジェリー&ペースメーカーズがカバーしたことで大ヒット。リバプールでは町中がこのヒットを喜び、試合前に毎週流していたところサポーターが歌い出したのが始まりと言われています。
体感してください
今でも続く、この大合唱の伝統はとにかく大迫力!特にアンフィールドは他のスタジアムより傾斜がすごいため、よく反響し、異空間を作り上げるといいます。相手チームの選手はこの歌に圧倒され尻込みするといいます。
下の動画は、これは2014-15シーズン、数年ぶりにチャンピオンズリーグがアンフィールドで開催された時のもの。皆様もこの中の一人に入ったことを想像しながら聞いてみてください。
実際に、すでにこの歌はリバプールのサポーターズソングの域をはるかに超え、世界中のフットボールファンの胸を打っています。いまや多くのチームで歌われています。
きっと、「君はいつの時も独りじゃない たとえ夢叶わずとも 希望を胸に抱いて進もう 」という歌詞が、チームが一丸になって一つのゴールを目指して戦うフットボールというスポーツにマッチしているからだと言われています。
他クラブの選手も「リバプールの選手としてこのYou'll never walk aloneを聞きたい!」と言って移籍してくることが多くあります。それほどに素晴らしいのです。
リバプールFCは東日本大震災の時には、クラブとしてYou'll never walk aloneのメッセージを日本に送ってくれました。
栄光と悲しみの歴史
リバプールFCはあのレアルマドリードよりも歴史は長く1892年の創立。イングランドトップリーグ設立時から参加している22クラブのうちの一つです。
歴史は長いだけでなく、輝かしい時代を過ごしてきました。特に、1960年から1980年代の約30年間では黄金時代を迎えます。リーグ優勝はほぼ2年に1度、計13回を数え、4回のヨーロッパ王者に輝きます。
しかし、栄光の時代はある2つの悲劇によって失われます。
1985年 ヘイゼルの悲劇
1984-85シーズン、ヨーロッパ王者を決めるチャンピオンズカップ決勝、ベルギーのブリュッセルにて開催されたユベントスvsリバプール。
その試合の開始前、両チームのサポーター同士が小競り合いをきっかけに衝突、暴徒と化し、リバプールサポーターがユベントスサポーター側のスタンドへなだれ込みます。ユベントスのサポーターは、この攻撃から逃れるためにスタジアムの壁をよじ登りますが、老朽化の進んだヘイゼルスタジアムはその重量に耐えられず壁が崩壊。死者39人を出す大惨事となりました。結果的にイタリア人サポーターが多く命を落とし、リバプールの"フーリガン"が起こした暴動として認識されています。この試合に出場した、かのフランス代表プラティニは「人生最悪の試合」と位置づけ、2017年現在も追悼の念を忘れていません。これ事件により、リバプールは7年間の国際大会出場停止の処分を受けることとなります(イギリスのクラブは5年間)。
1989年 ヒルズボロの悲劇
ヘイゼルの悲劇から4年後となる1989年、今度はリバプールサポーターに悲劇が訪れます。
1988-89シーズン、国内カップ戦(FAカップ)の準決勝、リバプール vs ノッティンガム・フォレスト。試合の会場には両チームの中立地であるヒルズボロスタジアム(シェフィールド・ウェンズデイのホームグラウンド)にて開催されました。FAカップと言えば国内カップ戦ではありますが歴史と伝統のあるカップ戦と知られ、多くのサポーターがスタジアムに押し寄せます。この日は24,000人のリバプールサポーターが訪れ、ゴール裏の立ち見席はすでに満員だった。それでもさらに観客は押し寄せ、スタジアムの外には多くのサポーターであふれかえっていました。見かねた警備員、警察はゲートを開放し入場を許可します。その結果、あせったサポーターがなだれ込み、人が人で押しつぶされる状態、ピッチと観客席を隔てる金網に人が押し付けられる格好となりました。
その後、試合はキックオフしたものの異変に気付いた主審が試合を止め、延期を決定します。ですが、すでに事件は起きていました。入場口が一ヵ所しかなく中は逃げ場がない状況ということに気づかなかった運営側のミスにより大惨事が起こります。前列のサポーターが逃げ場を失い、96人が窒息死、700人以上が重軽傷を負いました。
絶対に忘れてはならない。
これらの悲劇の歴史を乗り越え、今のリバプールがあります。
アンフィールドに呼応するYou'll never walk aloneにはこれらの悲劇の被害者への追悼の意味も込められているのです。
体制 ~どん底からの復活~
負債は500億円!?
イングランドトップリーグのプレミアリーグは今でこそ放映権(独占放送にかかる費用)収入に代表されるように「儲かるリーグ」と成っています。ですが、そこに至るまでの間リバプールは厳しい道をたどります。
2007年2月、クラブの新オーナーとなったトム・ヒックスとジョージ・ジレットはサッカーのことは全く分からないビジネスマン。監督の選手獲得の要望をことごとく却下した結果、成績が悪くなれば、コーチ陣と衝突、分裂を繰り返し、2008年にはついに経営難に陥り、負債は500億円であることを公表します。スター選手を売りに売りますが、破たんへと追い込まれたクラブはついにクラブを売却します。
この窮地を救ったのは2017年現在のオーナーであるジョン・ヘンリー。メジャーリーグの古豪レッドソックスの経営で培った健全経営で立て直しを図ります。オーナー、監督・コーチ、選手、サポーターを一丸とした経営で前に進み、強豪へと復活させたのです。
準一流選手狙い!?
プレミアリーグの放映権料や成績に応じた賞金、世界規模のサポーター基盤をベースに多くの利益を上げるリバプールFCですが、金にものを言わせないその強化方針はとても好感が持てます。
それは「期待し育てる」という理念です。これは明確にうたっているものではありません。ですが、移籍市場でのその動きにはクラブの若手を大切に育てようとする意志が見えます。特に、地元出身の選手については多くの期待を寄せ、トップチームでの力になれるようチャンスをじっくり与えます。サポーターとしてこれはうれしいことですが、結果が求められるフロント・コーチ陣にとっては簡単なことではありません。ですが、クラブとして根付いている育てるという理念を忘れることはなく実践してくれます。なので、たとえ結果が出なくとも応援したくなるのです。
また、育てる以外のチーム強化の方法は、選手獲得です。この獲得についても、私が抱く理念があります。それは「来年飛躍する選手への投資」です。マンチェスターシティやチェルシーのように実績のある旬の選手を獲得するのではなく、20歳前後の若手を比較的安価に獲得し、育てることを念頭に置いているように感じます。もっと実績のある選手と獲得してくれ~と感じることもありますが、理念を貫くこのクラブを愛せずにいられません。
選手 ~スティーブン・ジェラード~
当初、この記事の中で特定の選手を紹介するつもりはありませんでした。ですが、リバプールを象徴するあの選手だけは紹介せずには先に進めないことに気が付いてしまいました。
一人だけ紹介させてください。
リバプールには、過去の栄光の歴史や、情熱的なサポーターの影響もあり名のある選手が集まります。その中にあって特に輝きを放っていた地元出身選手、それが「スティーブン・ジェラード」です。
来歴
地元マージーサイド出身で、8歳でリバプールの下部組織へ入団したジェラードは、17歳でトップチームデビューを果たします。デビュー当時は右サイドバック、つまりディフェンダーでした。しかし、右サイドの最後尾から最前線へのロングキックや激しいタックルを披露しているうちにミッドフィルダーとしての適性を見出されコンバートされることになります。23歳にしてキャプテンに就任し、クラブ歴代最長となる12年間キャプテンを務めます。
プレースタイル
プレーの特徴を簡単ですが紹介します。
・常人離れしたロングパスのスピードと精度
・あらゆるポジションでプレイできる頭の良さ
ことシュート力については、後にも先にも世界一だと思っています。下の動画でも紹介していますので必見です。
クラブ愛
ジェラードを語るにはそのクラブへの忠誠心を語らずにはいられません。
中盤のオーガナイザーとして世界のトップ選手として活躍し、イングランド代表でも活躍を続けます。その中で、2005年ごろにバイエルンミュンヘンやチェルシーといったビッグクラブからオファーを受けます。言ってもリバプールは毎シーズン優勝を狙えるような強豪ではない田舎町のクラブ。ジェラードほどの選手であれば移籍したほうがたくさんのタイトルを獲得し、自身のキャリアも華やかなものとなっていただろうし、給与も大きく増えていたことでしょう。しかし、ジェラードはリバプール愛を貫き残留を表明します。2010年にはレアルマドリードからのオファーも一蹴するのです。
最も好きな言葉を紹介します。
ほかの選手であれば簡単ではない決断を平然とできてしまうスーパースター。愛せずにはいられません。
引退
そのジェラードは、2015年に「最も難しい決断」と評した、アメリカ・ロサンゼルスギャラクシーへの移籍を経て2016年に現役を引退します。2017年1月にリバプールアカデミーのコーチに就任しました。 帰ってきてくれました。王の帰還です。これからが本当に楽しみです。
試合が劇的すぎる!
なぜでしょう。リバプールは劇的な試合をしてくれます。これは語るよりも観ていただいたほうが早いので、早速観ていただきましょう。ランキング形式で3つ挙げています。
劇的すぎる試合たち
第3位! 2005-06 FAカップ決勝
vsウェストハム(2006年5月13日)
2-3の1点ビハインドの後半ロスタイム。誰もが優勝を諦めかけた。ただ一人、諦めていない男がいた。スティーブン・ジェラード。ロスタイムの超スーパーゴールにより延長へ持ち込む。結果、PK戦の末リバプールが7度目となるFAカップ優勝を手にする。
28分 0-2 ▲アッシュトン(ウェストハム)
54分 2-2 スティーブン・ジェラード(リバプール)
90分+ 3-3 スティーブン・ジェラード(リバプール)
サポーターの熱狂が鳥肌ものです。。
第2位! 2004-05 CL グループステージ第6戦
vsオリンピアコス(2004年12月8日)
リバプールが決勝トーナメント(ベスト16)に進むためには2点差以上での勝利が最低条件だった。だが、ブラジル代表リバウドのフリーキックが直接突き刺さり先制点はオリンピアコス。最低でも3点が必要になったリバプール。ジェラードのあのスーパーゴールが生まれる。
47分 1-1 ハリー・キューウェル(リバプール)
80分 2-1 ニール・メラー(リバプール)
86分 3-1 スティーブン・ジェラード(リバプール)
これまたサポーターの熱狂が鳥肌ものです。。にしてもジェラードの千両役者ぶりは恐ろしい。フォワードではなくミッドフィルダーですよ彼は。。
第1位! 2004-05 CL 決勝
vsACミラン(2005年5月25日)
The Miracleと称されるゲーム。
このシーズン、国内のリーグ戦で5位と低迷するリバプール。監督のラファエル・ベニテスは解任の噂も立ち込める状態であり、チャンピオンズリーグの決勝に進出したこともすでに奇跡に近い状態だった。そのリバプールに対し、ACミランは国内リーグ2位と好調で、かつ休養は十分だった。前評判は圧倒的にACミラン優位の状況にあった。そんな中始まった試合は前半のうちに0-3とACミランがリードを奪う。守備の堅さで有名なイタリアサッカーにあってこのシーズンのACミラン守備陣は史上最高のディフェンス陣を備えていた(GKジダ、DFカフー、ネスタ、スタム、マルディーニ、DMFガットゥーゾ)。このままミランの大量得点で試合は終了すると思われた試合。
54分 1-3 スティーブン・ジェラード(リバプール)
56分 2-3 ウラジミール・スミチェル(リバプール)
まさに目を疑うチャンピオンズリーグ史上最高とも言われる試合。感動せずに観ることはできない。自ら反撃ののろしを上げるなどジェラードのキャプテンシーが光る。
ちなみに、ACミランのイタリアではイスタンブールの悲劇と呼んでいるそうです。
熱きライバル意識
ダービーがとにかく熱く激しいです。ダービーとは地区のライバルとの試合を指します。特にリバプールにはライバル意識を強く持つライバルがいます。
【マージーサイドダービー】vsエバートン
同じマージーサイド州のクラブでまさにお隣さんエバートン。青をチームカラーとするエバートンとのダービーマッチは地域の名前からマージーサイドダービーと呼ばれ、レッドカードの飛び交う、プレミアリーグで最も熱い激しいダービーとなっています。
エバートンもまた歴史のあるクラブで、プレミアリーグ発足当時からトップリーグに参加しているクラブの一つです。そもそもリバプールが出来たきっかけはエバートンがあったからです。もともとアンフィールドを本拠地としていたのはエバートン。ですが、アンフィールドのオーナーによる賃料の引き上げに不服を唱え、アンフィールドからの本拠地移転を決めます。空席となったアンフィールドのチーム。どうせ空いているならと作られたのが我らがリバプールです。もしエバートンが出ていかなければリバプールはなかったかもしれないという背景を持ちます。歴史があるのはエバートンですが、立場はすっかり逆転しています。
ホームスタジアムの距離は公園を挟んで2km(直線距離で600m)ほどしか離れていないません。そのため、「この地域はおれたちのものだ!!」と言わんばかりに毎試合激しくぶつかり合います。このダービーで敗れるとその週は街を歩くだけでエバートンファンに大きな顔をされ、居心地が悪いといいます。地元のライバルには絶対に負けられないのです。
【ノースウェストダービー】vsマンチェスターユナイテッド
憎くきマンチェスターユナイテッド。何があっても勝つ。
もともとはランカシャー地方という同地区のクラブであったことからこのダービーが生まれています。ひいては、両チームとも歴史がありトップリーグの優勝回数でもリーグ1位と2位であることからイングランドを代表する2クラブのダービーということで"ナショナルダービー"とも呼ばれました(イングランド出身のライター:ベン・メイブリーさん曰く、イングランド国内ではこのような呼ばれ方はしていない模様です。かつリバプールの低迷もありこのように呼ばれることは少なくなりました。。)。
上で紹介したヘイゼルの悲劇やヒルズボロの悲劇により、フーリガンという存在は姿を消しつつありますが、いまだにこの両クラブはお互いに激しい憎悪を抱えており、罵りあいを続けています。なかなかひどいので、ほんの一部ですが一例をご紹介します。
リバプールからユナイテッドに移籍した選手もいますが、いかに良い選手であったとしても永遠に憎まれることになります。
まとめ
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
ずっと書きたかったサッカー記事。初回はリバプールについて書こう。そう決めていました。
幾度の苦境をチーム一丸となって乗り越え、成長を続けるリバプールFC。クラブでありながらどこか人の生きる道を見ているような感覚さえ覚えます。
2015年には名将ユルゲン・クロップを迎えさらなる高みへ歩みを進めるリバプール。まずはチャンピオンズリーグ出場へ。古豪復権への道は終わりません。
この記事で少しでも興味を持っていただけたらうれしいです。
くる虎